ぼくにはしっぽがある。
長い長いしっぽだ。
でもぼくは人間だから、ほかの人間に「ぼくには長いしっぽがあるよ」と言うと、きまって、「それは本当の話じゃなくて、空想の話でしょ」と言われてしまう。
ぼくにとっては、本当におしりから長いしっぽがのびているのに。
ぼくには、自分のしっぽが見えているわけではない。
だから、自分のしっぽが何色なのかはわからない。
それに、自分のしっぽをさわれるわけでもない。
だから、自分のしっぽに毛がはえているかどうかもわからない。
けれどもたしかに、おしりからのびているしっぽを、ぼくはいつも感じている。
胴体からのびている腕や足を、いつも感じているのとまったく同じように、しっぽをいつも感じている。
腕よりも長くて、足よりも長いしっぽを、いつも感じている。
おまけに、ぼくはしっぽを自分でうごかすことができる。
腕や足をまげたりふったりするのと、まったく同じように、しっぽをまげたりふったりできる。
しかも、腕や足よりも関節がたくさんあって、まげるところが多いから、腕や足よりもなめらかに、しっぽをまげたりふったりできる。
もしかすると、ほかの人間たちが正しくて、このしっぽは本当にあるしっぽじゃなくて、ぼくの空想の中にあるしっぽなのかもしれない。
もしそうだとしても、ぼくはこのしっぽをうごかせる。それはたしかに本当だ。
ぼくは、本当にあるのではないしっぽを、本当にうごかすことができる。そういうことになる。
それって、しっぽが本当にあるのと同じくらい、ふしぎなことじゃないだろうか。