ちいさな哲学のおはなし

清水将吾のブログ

宇宙の終わりのバッハ

 

ものは、ただ存在するだけで、意味があるのだろうか。

 

誰にも知られずとも、存在するだけで、意味があるのだろうか。

 

宇宙を漂うボイジャーには、ゴールデンレコードが乗っている。

 

ゴールデンレコードには、バッハの音楽が刻まれている。

 

それはもちろん、未来の人類が聴くためではない。

 

ボイジャーは、とうに太陽系を遠く離れてしまった。

 

それどころか、人類はすでに絶滅してしまった。

 

ボイジャーのバッハは、もう宇宙の誰にも聴かれることがない。

 

宇宙の膨張を加速させるエネルギーが星々の重力を上回り、ボイジャーはもうどこにもたどり着くことがないのだ。

 

ボイジャーのバッハは、誰にも聴かれることなく、宇宙の暗闇を漂いつづける。

 

それでも、ボイジャーのバッハは、宇宙に存在することで、宇宙をより美しいものにしつづける。

 

自然界がけっして存在させえないであろうバッハの音楽、それを存在させつづけることが、つまり、宇宙を自然のまま以上に美しくさせつづけることが、ボイジャーの意図されぬ使命だったのだ。

 

宇宙の膨張を加速させるエネルギーが、物体を崩壊させるほどにまで強まるとき、ゴールデンレコードもまた崩壊していく。

 

そのとき、素粒子たちの波動は生き生きと振動し、宇宙の終わりにバッハを演奏する。