ちいさな哲学のおはなし

清水将吾のブログ

「これ」は「これ」 《後》

f:id:shogoshimizu:20151023221116p:plain

 

《つづき》 

コンピューターの画面に出ている「これ」は、「『これ』じしんをさす『これ』」だ。

「これ」じしんをさす「これ」…

それを指を使ってできないだろうか。

こうなったら、どうしても考えたくなってきたぞ。

 

さっきみたいに、指を二本使うと、「『これ』じしんをさす『これ』」にはならない。

どうにかして、人さし指を一本だけ使って、「『これ』じしんをさす『これ』」をできないだろうか。

 

ぼくは右手の人さし指を、まげたりのばしたりしながら、考えた。

「人さし指じしんをさす人さし指」ができたら、よさそうなものだけど…

うーん、人さし指で、同じ人さし指をさすことは、どうがんばってもできないなあ。

 

そうだ!こういう考えかたはどうだろう。

テーブルを人さし指でさすとき、テーブルぜんたいに人さし指を向けることはできない。

たとえば、テーブルのうえの真ん中あたりに指を向けたとしたら、テーブルの足なんかには、指は向いていない。

それなのに、テーブルぜんたいをさすつもりで人さし指を使えば、テーブルぜんたいのことを、さすことができる。
 

もしそれができるなら、こうするのはどうだろう。

 

f:id:shogoshimizu:20151016222858p:plain

 

人さし指が向いているのは、うでの力こぶのところだ。

手のひらや指には、人さし指は向いていない。

だけど、テーブルのときのように、うでから人さし指のさきまで、ぜんたいをさすつもりで、させばいい。

そうすれば、人さし指は、力こぶのところだけでなく、人さし指じしんもふくめて、さしていることになる。

よし。このやりかたなら、「人さし指じしんをさす人さし指」ができて、「『これ』じしんをさす『これ』」と同じになりそうだ。

 

あれあれ?ちょっと待てよ。

「うでから人さし指の先まで、ぜんたいをさすつもりで、させばいい」って、それだけで大丈夫だろうか。

それだけだと、さされているところが「人さし指の先まで」で、ぷっつり切れてしまう。

これじゃあ、さされているその「人さし指」が、まるで何もさしていないみたいじゃないか。

 

f:id:shogoshimizu:20151023130051p:plain

▲さされてているのが「ここまで」(人さし指の先まで)で切れている

 

一本の人さし指を使って、その人さし指じしんをさすとしたら、「さされている人さし指」は、「さしている人さし指」でもあるはずだ。

だとすると、「うでから人さし指の先まで」をさすつもりでさすだけでは、足りない。

「さされている人さし指」が「うでから人さし指の先まで」をさしているところまでを、ふくめるつもりでさしてやらないといけない。

つまり、人さし指を力こぶに向けながら、「うでから人さし指の先まで」だけでなく、「さされている人さし指がうでから人さし指の先までをさしているところまで」をさすつもりで、ささないといけない。

 

f:id:shogoshimizu:20151023181627p:plain

▲黄色いところとオレンジ色のところがつけくわわった


あれあれあれ?

また人さし指の先までで、さされているところがぷっつり切れてしまったぞ。

 

「さされている人さし指がうでから人さし指の先までをさしているところまで」をふくめてやったら、「さされている人さし指にさされている人さし指」が、まるで何もさしていないみたいになってしまった!

「さされている人さし指にさされている人さし指」だって、ただの「さされている人さし指」じゃなくて、「さしている指」でもあるはずだ。

そうすると、どういうつもりになって、人さし指を力こぶに向ければいいんだろう。

 

うーん、ややこしいけど、こうかな。

人さし指を力こぶに向けながら、「うでから人さし指の先まで」だけでなく、「さされている人さし指がうでから人さし指の先までをさしているところまで」だけでなく、「さされている人さし指にさされている人さし指がうでから人さし指の先までをさしているところまで」…そこまでぜんぶをさすつもりで…えーっと…

あああ!人さし指の先のところまででぷっつり切れないようにしようとしたら、どこまでいってもきりがない!

 

f:id:shogoshimizu:20151023184418p:plain

▲どういうつもり??? 

 

はあ…こんなとほうもないことを、コンピューターは「これ」という言葉ひとつだけで、やっていたのか。

まいった。ぼくの負けだ。このコンピューター、すごいな。

それから、「これ」っていう言葉、すごい。

言葉だと、どうしてそんなことができちゃうんだろう。

 

そのとき、お母さんが外から帰ってきた。

「ただいま。あ、コンピューター、こわれてるでしょ。いま電気屋さんに行って、相談してたところよ。」

「こ、こわれてるだけなのこれ!?」

  

 《おしまい!》

 

「これ」は「これ」 《中》

《つづき》

 

「これ」という返事に対して、「どういう意味ですか?」と聞いたら、「これ」と答えられてしまった。

これまた、どういう意味だろう。

もう一度、「どういう意味ですか?」と聞いても、また「これ」という返事だろうか。

 

ん?待てよ。

「これ」について、「どういう意味ですか?」と聞いたら、「これ」っていう答えだったんだよな。

だとすると、「これ」の意味は「これ」、ということだろうか。

「これ」の意味は「これ」…

「これ」の意味は「これ」…

 

なるほど、そうか。

「これ」っていう言葉は、チョコレートや花びんのような、身のまわりにあるものをさすことができる。

でも、それだけじゃなくて、「これ」っていう言葉は、「これ」っていう言葉じしんをさすこともできるのかもしれない。

 

「これ」のことをさす「これ」、か…

ぼくは今日、「これ」って言わないことにしているから、絵にかくとすると、こんなかんじになるかな。

ぼくはそばにあった紙とえんぴつで、こんな絵をかいた。

 

f:id:shogoshimizu:20151006095559p:plain

 

この絵では、向こうがわで「これ」とさしている指を、手前がわの指が「これ」とさしている。

「『これ』をさす『これ』」が、指だけを使って、できあがり。

こうすれば、「これ」という言葉を口に出さなくても、「『これ』をさす『これ』」ができるわけだ。

 

…あれ、でも、おかしいな。

向こうがわの人さし指は、何もさしていないぞ。

 

f:id:shogoshimizu:20151007095818p:plain

 

何もさしていない人さし指があって、その指をもうひとつの人さし指がさしている。

 

でも、コンピューターの画面にある「これ」という言葉は、はじめからちゃんと「これ」という言葉じしんをさしていた。

さっき、画面がとつぜん真っ暗になって、「これ」という言葉が一つだけが出てきた。

それだけで、「何もさしていない『これ』」なんかがなくても、「これ」という言葉は、その言葉じしんのことをさしていた。

 

うーん、そうするとこの絵では、コンピューターが言っている「これ」を、じゅうぶんあらわせていないということか。

もしそうだとすると、人さし指だけでは、「これ」という言葉のかわりはできないということだろうか。

 

やっぱりこれは、コンピューターからぼくへの挑戦のようだ。

 

 

《つづく》

「これ」は「これ」 《前》

f:id:shogoshimizu:20150926123745p:plain

 

ある日、ぼくはいつものように、スーパーマーケットで買い物をしていた。

おかし売り場へ行くと、小さな男の子がお母さんに、

「これほしい」

と言っていた。

お母さんは、「これってどれ?」と言った。

男の子は何も言わずに、赤い箱のチョコレートを、人さし指でさした。

 

これを見て、ぼくは思った。

「ふむふむ。あたりまえのようだけど、人さし指でさすと、『これ』っていう意味になるんだな。そうだ、もしそうだとしたら、『これって言ったら負けゲーム』っていうのができるな。」

 

ぼくが考えた「これって言ったら負けゲーム」のルールは、とてもかんたんだ。

このゲームをやっているあいだは、「これ」と言ってはいけない。ついうっかり言ってしまったら、その人の負けだ。でも、こまることはない。人さし指を使えばいいからだ。

博物館で花びんのまえに立って、「これ、きれいだね」と言うかわりに、指をさして「きれいだね」と言えば、伝えたいことはちゃんと伝わる。

大きなテーブルを動かさなきゃいけないときは、「これ、いっしょに動かしてもらえる?」と言うかわりに、テーブルを指でさして、「いっしょに動かしてもらえる?」と言えば、伝えたいことはちゃんと伝わる。

ふふふ、ちょっとおもしろそうだ。今日は一日、「これ」って言わないですごしてみよう。できるかな?

 

そんなことを考えながら家に帰ると、リビングルームのコンピューターのスイッチが、入ったままになっていた。

「こ…」と言いかけて、あわててコンピューターを指でさして、ソファーにすわっているお父さんに聞いた。

「だれか使ってるの?」

「いいや、だれも使ってないと思うよ」とお父さんは言った。

 

ぼくはコンピューターまえにすわった。そしてキーボードを使って、じぶんの日記を書くところに、さっき思いついたゲームのことを書いた。

 

するととつぜん、コンピューターの画面が、真っ暗になった。

そして、真っ暗な画面の左上に、

「これ」

という白い文字が出てきた。

ふしぎだな。いくら最新のコンピューターでも、ぼくの日記まで読むだろうか。かりに読んだとしても、こんなことをするだろうか。

 

そうだ、「会話システム」を使ってコンピューターに聞いてみよう。

ぼくは「会話システム」のスイッチを入れて、

「どうしたんですか?」

と、コンピューターに向かって言った。すると、画面左上の「これ」という文字の下に、

「これ」

という返事が出てきた。

 

何が言いたいんだろう。「これ」って、いったいどういう意味だろう。

「どういう意味ですか?」

とぼくはコンピューターに聞いてみた。すると、さっきの「これ」という返事の下に、さらに、

「これ」

という返事が出てきた。

 

こまったな。ぼくが「これって言ったら負けゲーム」のことを書いたから、コンピューターが、知恵くらべでもしたがっているんだろうか。

 

 

《つづく》

ふねとお月さま

 f:id:shogoshimizu:20150918134550p:plain

 

わたしたちは、海のなかにすんでいます。

 

「ママ、どうしてふねは、いつもおもてのほうだけが見えて、うらのほうは見えないの?」

そう子どもがきくので、わたしはうえを見あげました。

1そうのふねが、日の光をさえぎりながら、わたしたちのうえのほうを、とおりすぎていくところでした。

 

「ふふ。あれは、ふねの『おもて』じゃなくて、ふねの『した』のほうというのよ。」

「へえ、そうなんだ。」

「そう。それから、見えないほうは、ふねの『うら』じゃなくて、ふねの『うえ』のほうというのよ。ふねの『うえ』には、人間がのっているのよ。」

 

「ふうん。じゃあ、どうしてふねは、いつも『した』のほうしか見えないの?人間がのってる『うえ』のほうは、一度も見えたことがないよ。」

「それは、ふねの『うえ』のほうよりも、『した』のほうが重たいからよ。重たい『した』のほうが、いつも海のなかにしずんでいて、こっちを向いているのよ。」

「へえ。ふねの『した』のほうよりも、『うえ』のほうが重たかったら、どうなるの?」

「『うえ』のほうが重たかったら、ふねがひっくりかえって、人間が海におちてしまうわ。」

「それはたいへんだ!そっか、ふねは『した』のほうが重たいから、『した』のほうが海のなかにしずんで、いつもこっちを向いてるんだね。だから、こっちからは、いつも『した』のほうしか見えないんだね。」

ふねはゆっくりと、わたしたちのうえをとおりすぎていきました。

 

それからしばらくたったある日の、まんげつの夜でした。

海の波はおだやかで、まんまるのお月さまが、海のなかからも、くっきりと見えました。

 

「ママ、どうしてお月さまは、いつもおもてのほうだけが見えて、うらのほうは見えないの?」

「それはママも、ふしぎに思ったことがあるわ。」

「うん、どうしていつも、同じほうのもようしか見えないのかな。うらのほうのもようは、一度も見えたことがないよ。」

 

わたしは、自分が子どものころに、おじいちゃんに同じことをきいたのを、思い出しました。

「ママのおじいちゃんがおしえてくれたんだけどね、お月さまは、こっちを向いているほうが、うらのほうよりも、少しだけ重たいんだって。」

「へえ。」

「重たいほうがどうしてもこっちを向くから、いつも重たいほうだけが見えて、うらのほうは見えないんだって。」

「へーえ。じゃあ、ふねと同じだね。海にうかんでるふねは、重たいほうが、いつもこっちを向いてる。空にうかんでるお月さまも、重たいほうが、いつもこっちを向いてる。」

「そうね。お月さまは、まるで空にうかんでいるふねのようね。」

 

子どもは、かんしんした顔でまんげつを見あげているうち、こういいました。

「あ、お月さまが空のふねだとすると、いつも見えてるのは、お月さまの『おもて』のほうというより、お月さまの『した』のほうといったほうがいいよね。」

「ふふ。それもそうね。」

「そして、いつも見えないのは、お月さまの『うら』のほうというより、お月さまの『うえ』のほうといったほうがいいよね。」

 

わたしは、自分が子どもだったころのぎもんを思い出して、わくわくしてきました。そして、こういいました。

「お月さまの『うえ』のほうには、だれがのっているのかしらね。」

「だれがのってるのか、こっちからは見えないね。ふねと同じだね。」

「みなとは、どこにあるのかしら。」

「みなとでたくさんのりすぎてしまうと、お月さまの『うえ』のほうが重たくなって、お月さまがひっくりかえってしまいそうだね。」

「そのときは、お月さまのちがうもようが見えるかしら。」

 

お月さまはゆっくりと、わたしたちのうえをとおりすぎていきました。

 

いろんなかげ

f:id:shogoshimizu:20150910231714p:plain

 

お昼の太陽の光のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910231811p:plain

 

どしゃぶりの雨のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910231928p:plain

 

あらしの雨のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910232121p:plain

 

夕方の太陽の光のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910232215p:plain

 

カラスがなく音のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910232312p:plain

 

がいとうの光のかげ

 

 

 

f:id:shogoshimizu:20150910232237p:plain

 

ただいまのかげ

 

「くべつ」はどこからやってきた?

f:id:shogoshimizu:20150830151522p:plain

 

この世界には、「くべつ」というものがある。

ウサギはリスではない。

リスはウサギではない。

ウサギとリスのあいだには、「くべつ」がある。
 

水は空気ではない。

空気は水ではない。

水と空気のあいだには、「くべつ」がある。

 

「くべつ」はどこにだってある。

黒いペンは赤いペンではない。赤いペンは黒いペンではない。

ソの音はラの音ではない。ラの音はソの音ではない。

太陽は月ではない。月は太陽ではない。

1は2ではない。2は1ではない。

私はあなたではない。あなたは私ではない。

それもこれもぜんぶ、「くべつ」があるからだ。

 

この世界にいろんなものがあるのは、「くべつ」のおかげだ。

たとえば、そもそもウサギがいるのは、「くべつ」のおかげだ。

「くべつ」がなければ、ウサギとリスのくべつもない。

「くべつ」がなければ、ウサギとネズミのくべつもない。

だから、「くべつ」がなければ、ウサギなんていう動物は、いないことになってしまう。

 

花がさくのも、「くべつ」のおかげだ。

「くべつ」のおかげで、花は、葉っぱではなく、実でもなく、ましてやチョウチョでもなく、ちゃんと花として、さくことができる。

 

じつは、この世界に「くべつ」があるのも、「くべつ」のおかげだ。


「くべつ」は重力ではない。重力は「くべつ」ではない。

「くべつ」と重力のあいだに、「くべつ」があるからだ。


「くべつ」はキャベツではない。キャベツは「くべつ」ではない。

「くべつ」とキャベツのあいだに、「くべつ」があるからだ。


「くべつ」がなければ、「くべつ」と重力のくべつもない。

「くべつ」がなければ、「くべつ」とキャベツのくべつもない。

だから、「くべつ」がなければ、「くべつ」なんていうものも、ないことになってしまう。

 

「くべつ」があるのは、「くべつ」のおかげ。 

そして、この「くべつ」と「くべつ」のあいだに、もう「くべつ」はない。

 

鼻とみつばち

 f:id:shogoshimizu:20150824131449p:plain

 

ある日、1匹のみつばちが、私の鼻の穴にごそごそと入ってきた。

みつばちは、鼻のなかの空洞まで入ってきて、そこでしばらくじっと休んでいた。

 

こわい鳥も入ってこられないし、大きなクモも入ってこられないし、スズメバチも入ってこられない。

きっと、安心してひと休みするのに、うってつけの場所だったのだろう。

みつばちはそのうち、もぞもぞと鼻の穴から出ていき、どこかへ飛んでいった。

 

次の日、また同じみつばちがやってきた。

今度は、ほかに3匹のなかまをつれてきていた。

あわせて4匹のみつばちは、私の両方の鼻の穴から、順番にごそごそと入ってきた。

鼻のなかの空洞を歩きまわって、何やら話し合いでもしているようだった。

4匹は鼻の穴から出てくると、どこかへとんでいった。

 

その次の日には8匹のみつばち、そのまた次の日にはもっとたくさんのみつばち、というふうに、私の鼻の穴に入ってくるみつばちの数は、日ごとにふえていった。

 

そんなある日、どこからともなく、あまいにおいがしてきた。

夢をみるような、あまいにおい。

ところが、あたりを見わたしても、あまいものはどこにもない。

それでも、あまいにおいは、私の鼻のなかを満たしているようだった。

 

どうやら、みつばつたちは、私の鼻のなかに巣を作っているらしい。

それで、どこかから花のみつをはこんできては、私の鼻のなかの巣にためこんでいるようなのだ。

 

みつばちたちは、一体どこから花のみつをはこんでくるのだろう。

私は、鼻の穴から出たみつばちたちが、どこへ飛んでいくのか、よく見てみることにした。

すると、みつばちたちは、上のほうに飛んでいっては、上のほうから帰ってくる。

 

いよいよ春がおとずれて、私の頭にも、花々が咲きはじめたようだ。