ちいさな哲学のおはなし

清水将吾のブログ

「くべつ」はどこからやってきた?

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この世界には、「くべつ」というものがある。

ウサギはリスではない。

リスはウサギではない。

ウサギとリスのあいだには、「くべつ」がある。
 

水は空気ではない。

空気は水ではない。

水と空気のあいだには、「くべつ」がある。

 

「くべつ」はどこにだってある。

黒いペンは赤いペンではない。赤いペンは黒いペンではない。

ソの音はラの音ではない。ラの音はソの音ではない。

太陽は月ではない。月は太陽ではない。

1は2ではない。2は1ではない。

私はあなたではない。あなたは私ではない。

それもこれもぜんぶ、「くべつ」があるからだ。

 

この世界にいろんなものがあるのは、「くべつ」のおかげだ。

たとえば、そもそもウサギがいるのは、「くべつ」のおかげだ。

「くべつ」がなければ、ウサギとリスのくべつもない。

「くべつ」がなければ、ウサギとネズミのくべつもない。

だから、「くべつ」がなければ、ウサギなんていう動物は、いないことになってしまう。

 

花がさくのも、「くべつ」のおかげだ。

「くべつ」のおかげで、花は、葉っぱではなく、実でもなく、ましてやチョウチョでもなく、ちゃんと花として、さくことができる。

 

じつは、この世界に「くべつ」があるのも、「くべつ」のおかげだ。


「くべつ」は重力ではない。重力は「くべつ」ではない。

「くべつ」と重力のあいだに、「くべつ」があるからだ。


「くべつ」はキャベツではない。キャベツは「くべつ」ではない。

「くべつ」とキャベツのあいだに、「くべつ」があるからだ。


「くべつ」がなければ、「くべつ」と重力のくべつもない。

「くべつ」がなければ、「くべつ」とキャベツのくべつもない。

だから、「くべつ」がなければ、「くべつ」なんていうものも、ないことになってしまう。

 

「くべつ」があるのは、「くべつ」のおかげ。 

そして、この「くべつ」と「くべつ」のあいだに、もう「くべつ」はない。