この世界には、「くべつ」というものがある。
ウサギはリスではない。
リスはウサギではない。
ウサギとリスのあいだには、「くべつ」がある。
水は空気ではない。
空気は水ではない。
水と空気のあいだには、「くべつ」がある。
「くべつ」はどこにだってある。
黒いペンは赤いペンではない。赤いペンは黒いペンではない。
ソの音はラの音ではない。ラの音はソの音ではない。
太陽は月ではない。月は太陽ではない。
1は2ではない。2は1ではない。
私はあなたではない。あなたは私ではない。
それもこれもぜんぶ、「くべつ」があるからだ。
この世界にいろんなものがあるのは、「くべつ」のおかげだ。
たとえば、そもそもウサギがいるのは、「くべつ」のおかげだ。
「くべつ」がなければ、ウサギとリスのくべつもない。
「くべつ」がなければ、ウサギとネズミのくべつもない。
だから、「くべつ」がなければ、ウサギなんていう動物は、いないことになってしまう。
花がさくのも、「くべつ」のおかげだ。
「くべつ」のおかげで、花は、葉っぱではなく、実でもなく、ましてやチョウチョでもなく、ちゃんと花として、さくことができる。
じつは、この世界に「くべつ」があるのも、「くべつ」のおかげだ。
「くべつ」は重力ではない。重力は「くべつ」ではない。
「くべつ」と重力のあいだに、「くべつ」があるからだ。
「くべつ」はキャベツではない。キャベツは「くべつ」ではない。
「くべつ」とキャベツのあいだに、「くべつ」があるからだ。
「くべつ」がなければ、「くべつ」と重力のくべつもない。
「くべつ」がなければ、「くべつ」とキャベツのくべつもない。
だから、「くべつ」がなければ、「くべつ」なんていうものも、ないことになってしまう。
「くべつ」があるのは、「くべつ」のおかげ。
そして、この「くべつ」と「くべつ」のあいだに、もう「くべつ」はない。