ちいさな哲学のおはなし

清水将吾のブログ

ぼくのうごかせるしっぽ

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ぼくにはしっぽがある。

長い長いしっぽだ。

 

でもぼくは人間だから、ほかの人間に「ぼくには長いしっぽがあるよ」と言うと、きまって、「それは本当の話じゃなくて、空想の話でしょ」と言われてしまう。

ぼくにとっては、本当におしりから長いしっぽがのびているのに。

 

ぼくには、自分のしっぽが見えているわけではない。

だから、自分のしっぽが何色なのかはわからない。

それに、自分のしっぽをさわれるわけでもない。

だから、自分のしっぽに毛がはえているかどうかもわからない。

 

けれどもたしかに、おしりからのびているしっぽを、ぼくはいつも感じている。

胴体からのびている腕や足を、いつも感じているのとまったく同じように、しっぽをいつも感じている。

腕よりも長くて、足よりも長いしっぽを、いつも感じている。

 

おまけに、ぼくはしっぽを自分でうごかすことができる。

腕や足をまげたりふったりするのと、まったく同じように、しっぽをまげたりふったりできる。

しかも、腕や足よりも関節がたくさんあって、まげるところが多いから、腕や足よりもなめらかに、しっぽをまげたりふったりできる。

 

もしかすると、ほかの人間たちが正しくて、このしっぽは本当にあるしっぽじゃなくて、ぼくの空想の中にあるしっぽなのかもしれない。

もしそうだとしても、ぼくはこのしっぽをうごかせる。それはたしかに本当だ。

ぼくは、本当にあるのではないしっぽを、本当にうごかすことができる。そういうことになる。

 

それって、しっぽが本当にあるのと同じくらい、ふしぎなことじゃないだろうか。